山梨県立博物館 かいじあむ

収蔵資料詳細情報

あしかがよしみつごはんのみぎょうしょ
足利義満御判御教書(応永10年8月18日付、市河刑部大輔入道あて)
足利義満御判御教書(応永10年8月18日付、市河刑部大輔入道あて)
分野別番号
歴-2009-001-000007
作者名(表記)
(花押)
宛所(表記)
市河刑部大輔入道殿
時代
室町
年記年月日
応永10年8月18日
西暦
1403年08月18日
形態
竪紙、巻子装
材質・技法
紙本墨書
員数(点数)
1
法量(縦:mm)
220
法量(横:mm)
294
概要解説
室町幕府三代将軍足利義満(1358〜1408)が、市河刑部大輔入道(興仙・頼房)に対して、去月24日における合戦の功績を賞した感状。
【翻刻】
(付箋)「六おんにんの 御はん 京都公方也」/
 (義満花押)/
去月廿四日合戦、一族・若党等/被疵云々、忠節之至尤神妙、/向後弥可抽戦功之状如件、/
 応永十年八月十八日/
  市河刑部大輔入道殿
備考
大塔合戦の後、幕府は応永8年2月に斯波義将を再び信濃国守護職に補任した。義将は、同年6月25日、市河頼房に対して、本領である志久見山のほか、小笠原長秀が頼房に与えた布施田郷などの所領を安堵している(本間美術館所蔵市河文書「斯波義将書下」)。さらに幕府は、応永9年5月14日付で信濃国を将軍家の御料国とし(同「足利義持御教書」)、9月17日には代官細川慈忠が市河頼房の所領を安堵した(同「細川慈忠遵行状」)。
応永10年7月24日、慈忠は村上満信・大井光矩・井上光順ほかと壇原(檀原(まゆみはら)、長野市)で合戦し、市河氏貞が慈忠の軍勢に参陣している(同「市河氏貞軍忠状」)。
資料群名
市河家文書
資料群概要
鎌倉・室町時代に信濃国高井郡志久見郷(長野県下水内郡栄村・下高井郡野沢温泉村)などを所領とした武士で、江戸時代には米沢藩士となった市河(市川)家に伝来した古文書群。
即日閲覧
不可
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