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- 歴-2009-001-000040
- 市川越中
- 江戸
- (年未詳)正月朔日
- XXXX年01月01日
- 切紙(元折紙か)
- 紙本墨書、奉書紙(本紙)
- 1
- 217
- 574
- 米沢藩七代藩主上杉宗房(1718〜1746)が、市河越中(英昌)から年始の祝儀として太刀を献上されたことを賞した文書。
【翻刻】 (包紙)「市川越中とのへ」/ 為年頭之祝儀、/太刀一腰到来/欣然候、猶清野/内膳可申也、/ 正月朔日(花押)/ 市川越中とのへ
- 上杉宗房は初名を勝豊と称し、米沢藩五代藩主上杉吉憲と側室山中氏との間に次男として生まれたが、享保19年(1734)に六代藩主である兄宗憲の養子となり七代藩主に就任、八代将軍徳川吉宗の編諱を受け宗房を名乗り、従四位下侍従・民部大輔に叙任された。藩政では、家臣からの半知借り上げを実施し、財政の再建を図った。正室は尾張藩主徳川宗春の養女近姫。
市河英昌(1690〜1746)は、「藤原姓市川氏系図 下」によると、近世市河家六代当主であり、房行の子息にあたる。初名の房英の後、房尚・忠恒と名を改め、弥五郎・孫次郎・刑部・越中を称した。
- 市河家文書
- 鎌倉・室町時代に信濃国高井郡志久見郷(長野県下水内郡栄村・下高井郡野沢温泉村)などを所領とした武士で、江戸時代には米沢藩士となった市河(市川)家に伝来した古文書群。
- 不可
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