山梨県立博物館 かいじあむ

収蔵資料詳細情報

うえすぎはるのり(ようざん)しょじょう
上杉治憲(鷹山)書状(7月9日付、本庄弥次郎他あて)
上杉治憲(鷹山)書状(7月9日付、本庄弥次郎他あて)
分野別番号
歴-2009-001-000050
宛所(表記)
本庄弥次郎とのへ・中条兵三郎とのへ・市川美濃とのへ・島津左京とのへ・竹俣三五郎とのへ
時代
江戸
年記年月日
(安永3年ヵ)7月9日
西暦
1774年07月09日
形態
継紙
材質・技法
紙本墨書
員数(点数)
1
法量(縦:mm)
206
法量(横:mm)
1237
概要解説
米沢藩九代藩主上杉治憲(鷹山、1751〜1822)が、市河美濃ほか米沢藩侍頭に宛てて、侍組による開発手伝を賞した書状。
【翻刻】
以鴻書申伸候、精暑之/節愈可為平安珍重存候、/然者此度各并組中/申合、開発手伝始候義、/家国之為とハ申なから/身分をも忘、土泥に身を/委て之手伝、誠以不浅/令満足候、尤痛入たる事ニハ/候得共、民は国之本と有之候/も農有ヶ故之義、衰敝を/再興候半事も此事に/止り候得者、心覃遠慮露ニ/任相頼候、暑気之節有/油断間敷候、彼是宜組中江/も可被相達候、不備、/
七月九日(花押)/
本庄弥次郎とのへ/
中条兵三郎とのへ/
市川美濃とのへ/
島津左京とのへ/
竹俣三五郎とのへ
備考
「安永三年七月中 侍組西江俣村開発御手伝ニ付開発御手伝之節辱ク治憲公御直書被成下候処当家ニ納メ置候事」と記された包紙(歴-2009-001-000027)と一括のものであったと考えられ、安永3年(1774)7月に米沢藩領の出羽国置賜郡西江俣村(山形県米沢市)で行われた耕地開発の際に作成されたものと推定される。
上杉治憲は、日向国(宮崎県)高鍋藩主秋月種美と、筑前国(福岡県)秋月藩主黒田長治の娘春姫との間に次男として生まれた。春姫の母(治憲の祖母)が米沢藩四代藩主上杉綱憲の娘豊姫であった関係で、宝暦10年(1760)に八代藩主重定の養子となり、初名を勝興と称した。明和3年(1766)に元服し、十代将軍徳川家治の偏諱を受け治憲を名乗り、従四位下弾正大弼に叙任され、翌年には重定の隠居にともない九代藩主に就任し、侍従に叙任された。
資料群名
市河家文書
資料群概要
鎌倉・室町時代に信濃国高井郡志久見郷(長野県下水内郡栄村・下高井郡野沢温泉村)などを所領とした武士で、江戸時代には米沢藩士となった市河(市川)家に伝来した古文書群。
即日閲覧
不可
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